9月に「マスク拒否で飛行機が臨時着陸」ということがありました。
北海道・釧路空港発のピーチ・アビエーション126便で、男性客がマスク着用を拒否し、大声を出すなどしたことから、安全確保のため新潟空港に臨時着陸していたことが8日、分かった。トラブルの影響で、目的地の関西空港には2時間15分遅れで到着した。
そのマスク拒否した乗客、「マスク未着用途中降機乗客」(以下マスパセさん)がツイッターやブログでいろいろ主張しています。
全部に目を通したわけではありませんが、疑問点を挙げていきたいと思います。
私自身は、マスクの着用は健康上の理由で困難ですが、マスク未着用を少数者の権利保護として例外的に考えることは妥当でないと思います。もちろん、マスク着用の一律強制に比べると、例外を認めて少数者に配慮して頂ける方が有難いことは山々です。しかし、私自身は「マスクに協力できない人の権利保護」だけでなく「マスクをしない自由」もある程度認めるべきだと考えます。
第一の理由は、(中略)
第二に、現在のマスク着用は科学的効果ではなく「社会的規範」としての側面が強いからです。全員マスク着用をベースラインにした上で正当な理由の提示を条件に例外を許容するというシステムを構築しなければならないほど、現在のマスクに着用必須の効果が認められてはいません。マスクの効果は、場面ごとに文脈ごとにも異なります。むしろマスクは、社会に従順に協力する意思を示すシンボルとしての役割が大きくなっています。マスクが「自分を守る」予防の手段から、「他人を守る」ための配慮と思いやりの手段に転化したことが、社会のマスク圧力をセンセーショナルに高める要因となりました。そこにこそ同調圧力が生じる温床があります。
第三に、民主主義社会のあるべき姿として、不確実なリスク(uncertain risks)に対する個人の自律性を許容しておくことが、少数者権利の保護だけでなく社会設計の健全さを担保するからです。新型コロナやマスクに関する知見は、多くの専門家・科学者から日々膨大な量が出されていますが、科学コミュニティの中でも一義的な正答が存在しません。その中で、不確実なリスクに対し、当局が上から一律の判断を行ったり、社会がそれを同調させたりするのでなく、個々の市民のリスク自主判断の余地を残しておくべきと考えます。近代社会における個人の自律性に鑑みれば、リスク評価および諸目的間の優先順位付けは個々の市民の自主判断に委ねる部分があってもよい、むしろ社会はそこをきちんと保障すべきだと思います。(中略)
社会における規範や規律の多くは、通常、長期間を経て漸進的に形成されます。例えば、禁煙やセクハラ防止等の規範は、一定の長期的なスパンでの議論を経て現在の姿の「規範」が形成されました。しかし、マスク着用協力については、コロナという突発的事態で急速に作られた新たなマナーです。これほど短期間に国民のほとんどに新しい規範が行き渡るのは、歴史上、今回の新型コロナでのマスク着用が初めてでしょう。(中略)
危機の時代にはふっと未来が顔を出します。戦争や災害や感染症等の「緊急状態」で個人の自由と権利をどう保護するかという点においてこそ、我々の民主主義の真価が問われるといっても過言ではありません。
1つ目。
「全員マスク着用をベースラインにした上で正当な理由の提示を条件に例外を許容するというシステムを構築しなければならないほど、現在のマスクに着用必須の効果が認められてはいません。マスクの効果は、場面ごとに文脈ごとにも異なります。」というのは、マスパセさんがそう思うだけですよね? 「着用必須の効果」というのはどれぐらいと見積もっているのでしょうか? 100%感染を防ぐというのは当然無理として、50%でも減らせるのであれば効果は十分あると思うのですが。
2つ目。
「不確実なリスクに対し、当局が上から一律の判断を行ったり、社会がそれを同調させたりするのでなく、個々の市民のリスク自主判断の余地を残しておくべきと考えます。」とマスパセさんは書いていますが、例えば「カラオケでクラスターが発生しやすい」と以前から言われている中で、12月になってもカラオケでクラスターが発生しているのも「個々の市民のリスク自主判断」で致し方ないということでしょうか? リスクの高い行動がわかっているのなら、それが制限されるのは仕方ないことだと思うのですが。
3つ目。
「マスク着用協力については、コロナという突発的事態で急速に作られた新たなマナーです。これほど短期間に国民のほとんどに新しい規範が行き渡るのは、歴史上、今回の新型コロナでのマスク着用が初めてでしょう。」とありますが、日本が戦争に負けて、「鬼畜米英」だったのがガラッと変わり、教科書が墨塗りされたりしたのはご存じないんですかね?
逆に、徐々に「マスク着用規範」が定着していったのなら受け入れたのですか?
4つ目。
「戦争や災害や感染症等の『緊急状態』で個人の自由と権利をどう保護するか」とありますが、戦争中に個人の自由とか権利とか言ってられると思うんですかね? 例えば戦争中、「夜中に明かりをつけていると爆撃される可能性があるから明かりは消せ」と言われても「個人の自由」と明かりをつけようと思うのでしょうか? 明かりをつけて敵機から見つかり爆弾を落とされ、自分が命を落とすのは自業自得でいいのでしょうが、近くに隠れていた人はたまったものではありません。それでも「個人の自由」を優先すべきと思うのでしょうか?
5つ目。
マスパセさんのツイッターを見ると、最近やたらと「寛容」と連呼しているようですが、それでは検査で陽性だった人の行動についてはどう思うのでしょうか? 病院を抜け出して温泉に入って逮捕された人もいますが、マスパセさんの視点では、陽性だろうと温泉に入るのは「個人の自由」であり、「寛容」であるべき、となるのでしょうか?
「コロナはただの風邪」と主張している人たちもおり、マスパセさんの言葉を借りれば「科学コミュニティの中でも一義的な正答が存在し」ない状態なので、逮捕はやり過ぎとお考えでしょうか?
6つ目。
この方(@Dr_Kano)は全く逆張りで、「客を摘み出したらいい」は浅薄です
店は公共に対し開かれているべきです。ルールに妥当性を感じないなら個別に異を挟めばいいです。周りの客も受忍限度であるべきでしょう。
平均的な顧客層ベースのサービス提供は、利益は上がっても、社会的役割を果たしてません https://t.co/p6slPIE4bn— マスク未着用途中降機乗客(マスパセ) (@mask_passenger) December 26, 2020
上記ツイートの「店は公共に対し開かれているべき」というのは「利用するに当たって制限を設けるべきではない」という意味と受け取りましたが、一般的には私人(利用者)と私人(店)の契約であり、条件が合わなければ契約(利用)を断る権利は店側にあると思うのですが。例えば、ドレスコードのあるレストランもありますが、マスパセさんはそれも廃止すべき、とお思いなんですかね? 「廃止すべき」と言わないのであれば、「マスクもドレスコードだ」と言われたら何も言い返せないと思いますが。
もっと見ていけばもっといろいろ疑問に思うことはあると思いますが、見ていると「自分は一歩も退かない」というのが感じられ、読んでいるだけで疲れるので直接返事がない限りはもう見ることはないかな、と思います。
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