少し前、養子に入った子どもが養母による虐待によって死亡したという事件が韓国であったのですが。
その事件を詳しく報じた番組が「『ジョンインちゃん、ごめん』チャレンジ」(ジョンインというのは死んだ子の名前)というのを提唱し、視聴者や芸能人が賛同して「지켜주지 못해 미안해(守ってやれなくてごめん)」とSNSにアップした、ということがありました。
放送後、「それが知りたい」の制作陣と大韓児童虐待防止協会は「ジョンインちゃん、ごめん」チャレンジを提案した。無念にも亡くなったジョンインちゃんを一緒に追悼し、死亡事件の真相を明確に究明し、二度とこのような惨事が発生しないことを願うためだ。
痛ましい事件ですし、追悼するのはわかります。
ですが、無関係の人が被害者に謝ることが「死亡事件の真相を明確に究明し、二度とこのような惨事が発生しないこと」につながるのでしょうか?
全くもって理解できません。
セウォル号が沈没した際にも「지켜주지 못해 미안해(守ってやれなくてごめん)」という言葉がよく使われていたと思いますが、事件・事故に関係ない人がなぜ謝るのでしょうか?
「この事件・事故が起きたのは社会が悪い」ということで、その社会を構成する一員として謝っているということでしょうか?
謝りたいなら勝手に謝ればいいと思いますが、それが再発防止と何か関係があるのでしょうか?
そして、セウォル号後、韓国社会は変わったのでしょうか?
「지켜주지 못해 미안해(守ってやれなくてごめん)」と言うことで何かした気になっているだけなのではないかと思えて仕方ありません。
今回の事件に関しては、事前に通報が3回あったのに親の逮捕や親子を引き離すということには至らず、「児童虐待の通報があったら即捜査」という法律ができるようなので少しは変わるのでしょうが。
とにかく、疑問しかありません。
また、ジョンインちゃんの冥福を祈ります。
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