放送日:2023年1月18日
あらすじ
公式
天才画家の追悼展で事件発生
不可解な心中騒動の真相とは!?右京(水谷豊)は、薫(寺脇康文)とともに“情熱の画家”牧村遼太郎の展覧会を訪問。ナイフを手にした男が、『椿二輪』という油絵を切り裂き、来場者に怪我を負わせる事件に遭遇する。『椿二輪』は、遼太郎が自身と愛人を二輪の花に例えたといわれる遺作で、完成直後に心中を企てた曰く付きの作品だった。心中相手は、大宮アカネ(花澄)という女流画家だったが、彼女だけが一命を取り留めていた。しかし、遼太郎の妻・智子(中山忍)は、自分こそが『椿二輪』のモデルだと主張。心中騒動は、アカネによる殺人だと訴えていた。確かに、心中の様相は不可解で、遼太郎が自分の胸にナイフを突き立てていたのに対し、アカネは神経毒を摂取するというチグハグなものだった。元々、遼太郎の作品に心惹かれていた右京は、真相を探るべく、捜査に乗り出す。
愛憎渦巻く心中騒動は自殺か、殺人か?
解き明かす鍵は切り裂かれた遺作に!?
二輪の椿に託した作者の痛切な思いとはゲスト:中山忍 花澄
ネタバレあり
- 右京と亀山が「情熱の画家」牧村遼太郎の追悼展を見ていると、男が遺作『椿二輪』(遼太郎が自分と愛人を2輪の花に例えたとされ完成後に心中を企てたいわく付きの作品、心中相手は大宮アカネという画家で一命を取り留めた)をナイフで切り裂き、近くにいた来場者にも傷を負わせて逃走。亀山が追い掛ける。
- 智子(遼太郎の妻)が来て「自分こそが『椿二輪』のモデル、心中ではなく夫はアカネに殺された」と主張。
- 亀山は犯人を見失うが、犯人がバイク(盗難車)を乗り捨てたことから伊丹らと共に付近を捜索する。
- 翌日、右京と亀山はアカネを訪ねる。アカネは「彼と恋に落ちたのは去年の春、桜が満開の頃、2人で燃えるような夏を過ごしたけど秋になると彼は心のバランスを崩し始めた、あの人は私が他の男に気持ちを移すのを恐れた」と説明するが、右京は「捜査資料によると摂取した毒草は致死量に遠く及ばない量だった、また心中を企てた2人がなぜ1人はナイフ1人は毒草と別々の手段で命を絶とうとしたのか」と指摘。すると「死を決意した人間は理屈では説明できない行動を取るもの」と答える。
- 伊丹らは絵を切り裂いた犯人(小島)を見つけ、連行。小島は取り調べで「ダークウェブで頼まれた、相手は誰だかわからない」と話す。
- 美和子から「牧村遼太郎という画家は以前はそんなに評価は高くなかった、情熱的な画風は画壇では小手先の表現だと言われていたが大宮アカネとの恋愛によって作品に魂がこもるようになったと言われている」という話を聞き、右京は「牧村遼太郎を支えていた人物はもう1人いた」と思い出す。
- 絵が切り裂かれたことで話題となり、追悼展に行列ができる。そこで右京は画廊のオーナーで遼太郎を支えていた薬師寺に「切り裂き事件を仕組んだのはあなたでは」と聞くが「画家の名を広めるためにその画家の作品を切り裂くなどあり得ない」と否定される。
- 美術雑誌の牧村遼太郎追悼特集号に本人のスケッチブックの絵があり近所を回って写生していた様子がうかがえるが、そこに椿の絵も見つける。そこで絵を描いた寺で話を聞くと、その寺の椿は侘助という早咲きの品種(11月から咲き始めて2月には散り始めて3月にはきれいさっぱり)とのことで、右京は「2輪目の椿は智子でもアカネでもなかった、われわれは勘違いさせられていた」と気付く。
- 右京は遼太郎のアトリエを訪ね、智子に「アカネは『彼と恋に落ちたのは去年の桜が満開の頃』と言っていたが椿の絵の構想はそれより前であり2人が付き合っていたというのはうそで『椿二輪』は遼太郎がただ近所の寺に咲いていた椿を写生したにすぎない」と指摘。また、雑誌では『椿二輪』を収めた額縁が絵もなく飾られているのを見つけ、額縁に何か付着していることに気付く。
- 右京と亀山は追悼展でけがをした梅田剛を訪ね、「梅田の上着は裏地が破れているが『椿二輪』を収めていた額縁に付着していた繊維と似ている、梅田は窃盗の前科があるが牧村遼太郎のアトリエに盗みに入った、アトリエから『椿二輪』を運び出そうとして上着で隠そうとしたが隠しきれず額縁は残して絵だけ持ち去った、その後追悼展に『椿二輪』が出品されることを知って確かめるために訪れたあの事件に遭遇した」と指摘して連行。梅田の部屋から『椿二輪』が見つかる。
- 右京と亀山は智子に本物の『椿二輪』を見せつつ、遼太郎心中から切り裂き事件までは画壇の評価を変えて話題となるための芝居であると指摘。窃盗犯が盗みに入ったのが遼太郎心中の通報の日であり、遼太郎1人で死んでいるのを見たと告げると、智子は「遼太郎の遺書(「自分の才能に絶望した」という内容)を見つけてすぐにアカネを呼んで偽装心中に協力させた(アカネも自分のために受諾)」と認める。また、窃盗犯が「(今回に限って現金やカードではなく絵を持ち去ったのは)ただ欲しかったから、この絵を盗み自分の部屋に飾り毎日眺めているうちに人生を変えたくなってきて真面目に働くようになった」と言っていたことを伝え、右京は「もしかしたら芸術から最も離れた場所にいたのはあなた方かもしれない、牧村遼太郎の作品が本物であればたとえどれほど時間がかかろうともやがては正当な評価を得るはず、実際のところあなたは牧村遼太郎という画家の才能ばかりか彼の作品の持つ力すら信じていなかったとしか言いようがない」と責める。
感想/気になる点など
- 絵を切り裂いた事件でどうして捜査一課が出てくるの? けが人が出たから?
- 大宮アカネが飲んだという「エカテリーナ・ジャスミン」。前にもそんなの出てきたな、と思ったら「アイリーンジャスミン」だった(シーズン13 第7話 「死命」)。
- なんか今回は「言われている」が多かったな。
- 絵を切り裂くといえばシーズン9 第3話 「最後のアトリエ」なんてのもあったな。
- 「亀山が意図せず何かに気付く」というのは凶器のイカを食べた時のこと(シーズン2 第3話 「殺人晩餐会」)を思い出す。右京が笑ったのもそういう部分があったのだろうか。
- 「牧村遼太郎の作品が本物であればたとえどれほど時間がかかろうともやがては正当な評価を得るはず」って、必ずしもそうではないと思うし、仮にそうだったとして後世で、あるいは死後に評価されたとして本人にとってはどうなのか。
- 窃盗犯に影響を与えたことで「私の夫はやっぱり本物の芸術家だったんですよね」って言うけど、「本物の芸術家」って何? どうやって定義されるの?
キャスト
水谷豊:杉下右京
寺脇康文:亀山薫
森口瑤子:小出茉梨
鈴木砂羽:亀山美和子
川原和久:伊丹憲一
山中崇史:芹沢慶二
山西惇:角田六郎
篠原ゆき子:出雲麗音
中山忍:牧村智子(遼太郎の妻)
花澄:大宮アカネ(画家)
由地慶伍:薬師寺研吾(ギャラリーのオーナー)
佐久間祥朗:梅田剛
小久保丈二:牧村遼太郎(「情熱の画家」と言われる画家、3カ月ほど前に死亡)
北本哲也:小島純一(『椿二輪』を切り裂いた犯人)
小川隆市:牧村遼太郎が椿の写生をした寺の住職
勝又悠里:亀山に自転車を貸した女性
主な複数回出演者
- 中山忍は桂馬麗子(帝都女子体育大学 教授、元マラソン銀メダリスト)役で相棒11 第16話 「シンデレラの靴」に出演。
- 小久保丈二は国枝弘和(カシオペアの車掌)役で相棒6 第10話 「寝台特急カシオペア殺人事件!上野~札幌1200kmを走る豪華密室!犯人はこの中にいる!!」、松下の秘書役で相棒16 第6話 「ジョーカー」に出演。
ロケ地
劇中の場所 | 撮影場所 |
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ラフィカ Art Gallery?(牧村遼太郎追悼展の会場) | CARATO71[HP][地図] |
牧村遼太郎の写真(追悼展でプロフィールの横に掲示)を撮った場所 | 東映東京撮影所 スタジオ21前[地図] |
三澄町の坂道(亀山が犯人を見失った場所) | うめの里坂[地図] |
牧村遼太郎のアトリエ | STUDIOピア Pia7 宮前[HP] |
大宮アカネのアトリエ | Sister狛江[HP] |
牧村遼太郎が椿の写生をした寺 | 長久山 妙安寺[地図] |
梅田剛の勤務先 | 英工業[地図] |
右京と亀山が梅田剛に話を聞いた河川敷 | 荒川土手(荒川第一調整池排水門近く)[地図] |
<撮影場所ごとのまとめ>
CARATO71[HP]:ラフィカ Art Gallery?(牧村遼太郎追悼展の会場)
東映東京撮影所[当ブログの記事]:牧村遼太郎の写真(追悼展でプロフィールの横に掲示)を撮った場所
うめの里坂:三澄町の坂道(亀山が犯人を見失った場所)
STUDIOピア Pia7 宮前[HP]:牧村遼太郎のアトリエ
Sister狛江[HP]:大宮アカネのアトリエ
長久山 妙安寺:牧村遼太郎が椿の写生をした寺
英工業:梅田剛の勤務先
荒川土手(荒川第一調整池排水門近く):右京と亀山が梅田剛に話を聞いた河川敷
コメント
「本物の芸術」の定義は人によって変わるのでこれは持論になりますが
「人生観を変える程の何かを人に感じさせる絵」だと思うんです
「金」だとか「名誉」だとか「物としての価値」ではなく、(今回の場合は)窃盗犯に「真面目に生きよう」と考えさせる様な「人の精神」に訴えかける様な作品の事を本物の芸術だと、そう考えています
コメントありがとうございます。
そう言われるとなんとなくわかる気もしますが、では「本物の芸術ではない絵(作品)」(「本物の芸術」の対偶)を考えると、「人生観を変える程の何かを(誰にも)感じさせなかった絵(作品)」ということになり、それは何人が「感じなかった」と思ったら「感じさせなかった」と判定できるのか、同じ時代には「人生観を変える程の何か」を感じる人がいなくても後の世で大勢出たとしたら「実は本物の芸術だった」ということになるのかなど、疑問は尽きません。
まあ、日本人は「物語」が好きですし、この回の事件関係者はそっち方面に走ってしまったので「本物の芸術とは違うのだろう」ということはわかるのですが。